半分ずつ

庭のあんずがすっぱくておいしい。最近リスが屋根を駆けて通るのは、これが目当て。
木の上からこちらを心配そうに見ているリスに「半分ずつね」と言い3個だけいただく。
ところが次の朝、木を見上げるとたくさん生っていた実がひとつもない。
しかも木の下には、なんと!?
ちょうど半分だけ食べかけた赤々としたあんずの実がたくさん落ちている。
動物との意思疎通はむずかしい。
「半分ずつ」はそういう意味ではないんだけど….勘違いしたようです。

梅雨

“はやまそうそう”と言いながら、葉山育ちでないと実感するのは梅雨時期だ。
正直なところ、先週のアメリカ出張はハードスケジュールにもかかわらずカラリとした気候で、一息つくことができ体調がもどった。
20代はどんな土地にも対応でき、東京の蒸し暑さも全く堪えなかった。しかし、だんだん体が生まれ故郷の気候を懐かしがるのか、梅雨時期や蒸し暑さがきつく感じるようになった。梅雨のない北海道で幼少時代を過ごした身には海沿いの町の湿気は強烈で、東京のコンクリートや排気ガスの中の蒸し暑さは耐え難い。

それでも、事情が許す限り葉山にずっと住みたいと思う。
夏や冬の厳しさも含めて自然と共に生きている感じがする。
でも、もう少し体力が必要だと思う。もっと歩くようにしよう。

蕎麦で一杯

しばらくお休みをしていた行きつけの蕎麦屋が再開してほっとしている。
どうもご主人が風邪をひいたためだとか。
朝、晩は自宅でも、昼はここに来ないと調子が狂う。

葉山の“一色”は民芸風の普通の蕎麦屋で、5種類の10割手打ち蕎麦はご主人が毎日打つのだそうだ。私はいつも辛み大根の蕎麦を注文する。強烈に辛くておいしい。

日本酒の種類が豊富なので、昼間から一杯を楽しみにしている地元の素敵な人たちが多く、60代、70代の大人の女性たちも一人で来ては“一杯”のあとに蕎麦をいただく。

土日は11時から2時くらいまで飲んでいる人がいるそうだが、ご合席も、そろそろお帰りもなし。
「みんな、良く飲むのわよねぇ。」とお店の人がおおらかなのもいい。

少し前までは断然うどん派だったのだが、今は完全に蕎麦派。
だんだんそうなるのだそうです。

御守

 初詣は、例年通り葉山の森戸神社でお参りをした。

お守やお札は、総合というのはないようで、願いごと別になっている。


富士に海と梅の森戸らしい健康御守を買って家族に送った。


富士山をバックに波の描かれた神様版画のお札でもあると嬉しいのだが、これは残念ながら無し。


病気の父には病気平癒。愛車には交通安全を。台所用のお札も忘れずに。



京都では友人の勧めで上加茂神社の、飛行機がデザインされた航空御守をもらった。

往復の多い私には”絶対必要“と言われて。


隣に並ぶ”勝馬守“や”芸能守“”縁結び守“などを見ていると、なんとなく具体的な方が効くような気がしてきた。

いつから御守好きになってしまったのでしょう?

わかりませんが。

 

家庭の中の文化

 庭のゆずが実をたくさんつけて、使いきれなかったので蜂蜜に漬けた。

 

随分前になるが、佐藤雅子さんの“私の保存食ノート”を見て、本からうかがえる暮らしぶりに、懐かしさと憧れを感じ、私も作ってみようと瓶やタッパーをたくさん買いこんだ。

 

慌しい日常の中で、季節を逃がしてはできないこの仕事は、私を家の中の生活に引き戻し、豊かな気持ちにしてくれる。

 

韓国の方から「旅行で見る文化、探してようやく見つけられる文化は全体の半分くらいで、韓国の文化の大半は誰にも見せずに家庭の中にある。」と聞いたことを思い出す。

 

毎年、この時期は山形の酒造から酒粕を送ってもらい、紅鮭や帆立を漬ける。

ここのご主人は生前、古美術品を集めていた。

いい香りの酒粕が届くと、お会いした時のことを思い出す。

 

森戸の潮神楽

 朝市でレタスを買ったらお餅の引換券をもらったので、森戸神社の潮神楽を観に行く。

太鼓が調子よく鳴り響くと、つい肩や腰でリズムをとりたくなりそうだが、神様をおむかえする神楽舞なので、楽しんで踊るなどということはなしに静粛に淡々と舞う。
神主たちが四座舞終わると、神様はお姿は見せないが、降りてきたようだ。

嬉しいことに、皆でお神酒のご相伴に与った。
お酒を振舞うとは、なんて場の雰囲気を読む神様なのだろう。
ほろ酔い気分で、紅白のきれいな丸いお餅を手に提げて帰り道を歩く。

さっそくおしるこを作るとしよう。

大漁を祈り江戸時代から続く潮神楽。五色の切り紙が海風にたなびいて、

誰かが富士山に向かって泳いでいったような
……

 

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