左義長羽子板 江戸時代

 

「左義長」は正月(小正月)の15日、御所清涼殿で青竹を組み、藁をかぶせて火を放ち、陰陽師たちが囃しながら、帝の吉書・短冊・扇面などを焼く厄払いの行事です。左義長羽子板は縁起物として、上流階級の贈答や、姫のお輿入れ道具としてつくられました。木地・胡粉盛上げに彩色を施したもので、片面に左義長の様子をあらわし、もう一方の面には貴人たちが描かれています。この羽子板は海外のコレクションより里帰りをしました。

猿投 皿 平安時代

 

「花を生けたい」

「これで食べたい」

 と感じさせないもの。

 あえて言うならば、

 草一本、米一粒が似合うもの。

 そういう清々しきものを、

 眺めていたいと思うことがある。

松蒔絵香合

 

 

神木に花や咲きたる初御籤    

 
  

阿吽の神獣と神鹿 

 

 

 

獅子と狛犬展”(MIHO MUSEUM)は“神獣が来たはるかな道”の副題が示すように、起源とされる古代エジプト、インド、中国から日本伝来までの神獣が展示されている。日本以外のものを取り上げることにより日本の狛犬や獅子の独自性を強調して見せる。ありそうでなかった観点の展示だと思う。

歯をむき出し食いしばった獅子と狛犬の阿吽の表情は守護神としての迫力に満ちている。それらに比べると“国宝鳥獣戯画と高山寺展”(京都国立博物館)に展示されているふたつの神鹿は優雅な姿をしている。しかし、その表情は複雑で普遍的な“生と死”“静と動”をあらわしているかのようだ。天に向かって口を開けた阿形の鹿は、生の喜びと苦しみを同時に称えているように見える。吽形は生命の終わりを告げるように足を折って座っており、一見無表情に見えるそのまなざしは安堵と不安を含んでいる。古くから神の使いとされた鹿。しばらく目を離すことができなかった。

 

 

昨日プレビューに行ってきました。国宝鳥獣戯画と高山寺の図録は豆本の付録がついています。

展覧会前半は明恵上人樹上 座禅図が展示されています。

 

 

国宝の秋2

継色紙をお持ちの方がおりましたら、是非お譲り下さい。
下記のような奈良三彩や古墳時代の鏡も宜しくお願いします。(笑)

東博の国宝展を前に渋めの展示会でウォーミングアップ・・とは言っても国宝・重文ですが。気がついたらひたすら唸り声。



宗像大社国宝展−出光美術館 10月13日まで
名画を切り、名器を継ぐ―根津美術館 11月3日まで


国宝の秋 京へのいざない 京都国立博物館


”京へのいざない”は名品がずらり・・鳥獣戯画の展示が始まる前でしたので、ゆっくりと観ることができました。新しくオープンした平成知新館は、1階から3階まで天井も高くオープンなつくりでライティングは明るめ。仏画などはやや修復が目立つのですが、かえって今まで何度も観た名画の細部を見ることができ、新たな印象を受けました





和楽10月号

 国宝の秋。

 9月1日発売の和楽10月号「私たちこの「国宝」が一番好きです!」のアンケートにコメントしています。

私が選んだ国宝は・・・・紀元前生まれ。今回人気の善財童子と同じく合掌しています。

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1648


10月15日から東京国立博物館で「日本国宝展」が、9月13日から京都国立博物館では「京(みやこ)へのいざない」が・・楽しみですが、混むでしょうねぇ。足腰鍛えて・・。





クレア 7月号掲載


文芸春秋の女性誌【クレア】7月号
美術ライター橋本麻里さんと考える
「古美術の楽しい使い方」
に祥雲の紹介と縄文土器・須恵器・印仏などがお洒落に掲載されています。

http://crea.bunshun.jp/articles/-/5475
ご覧いただけたらと思います。

「山の神仏」と「蓮」 大阪

 大阪で美術館のはしご。

大阪市立美術館「山の神仏」には御正体、狛犬、掛仏、神像・・アノ素晴らしい神仏たちが大集合。工夫されたレイアウトで比較的至近距離で作品を観ることができ、しかも東京や京都のように混んでいないので、ゆったりゆっくりと楽しみました。戦前の建物がエレガントで美しいです。ロビーのシャンデリアの下で音楽を聞いてみたいものです。

公園ではビアガーデンが盛況・・こちらがメインという方が多いようです。寄り道したくなる気持ちを抑えて東洋陶磁美術館へ。

写真家の六田智弘さんの蓮の写真と蓮の意匠の焼き物のコラボレーション。モノクロの蓮池の写真をバックに、白い壺が清楚です。よく見ると蓮の開花や図案化したものだけではなく、巻葉や花びらの外周が反った図など、様々な表情を捉えていて感心しました。




 

美術館へ古寺巡礼


ほとけさまが西から東、東から西へと旅する時代。

上野の芸大「法隆寺展」奈良国立博物館「武家のみやこ 鎌倉の仏像」そして京都国立博物館「南山城の古寺巡礼」と仏像三昧の日々。

 

ほとけの顔を直接見なかった昔の人の方が、仏の近くにいる・・・たしか白洲正子の著作にこのような意味のことが書かれていた。

“観る”に集中して“礼”がおろそかになりがちだ。

 

「わし、あんたの妹知っとる。浄瑠璃寺にいるやろ」と天部に話しかける男性。「あら、傷だらけ・・あっ!たいへんや。仏さんの悪口いうてしもた。許してぇ」と手を合わせる女性など、観ると拝むの中間感覚の方もいる。

 

「法華経て効くんやろか」「そりゃ、効くやろ」と年配の女性たちの会話に“なにに効くのかなぁ”と思いつつ順路を進むと目の前に笠置寺の誕生仏。

つい・・「かわいい。欲しい!」・・あらあらとんでもないことを・・。(合掌)